旧館とそこで一緒に過ごした仲間たち

(written on April, 1995、注記1996/12/2)

先日(注:1995/3/31)、母校の吹奏楽部の定期演奏会があった。プログラムの中に毎年「OB・現役合同演奏」という企画があり、それに参加するために事前の練習、リハーサル、そして演奏会当日には裏方の手伝いもあって母校に何度か足を運んだ。自分が高校生だった時期も含めてもう6回も演奏会に携わっているが、毎年この時期が来るたびに「ああ、春がくるんだなあ」と少ししみじみする。そしてまた一つ、年を重ねたことを実感するのである。

年を重ねるということは、もうほとんど現役の高校生との交流がなくなるため、自分が所属していたパートの後輩は何とか名前と顔が一致するものの、他のパートの後輩はほとんど解らないという状態になる。最近は自分たちが卒業した後に入学して来た後輩がもう高校卒業という時期になってきているため、OBであっても名前と顔が一致しない、あるいは名前すら知らないという事態にまで発展している。同期の友人たちと会っては冗談で「年取ったなあ」などと言ってまた寂しい思いをするのだが、今年は例年とは違ってまた寂しい思いを強くしたことがあった。

それは今までの活動場所がついに取り壊されてしまったことである。もともと私たちが高校生だった頃までは旧校舎(通称「旧館」)に様々な部活の部室があり、その中には吹奏楽部の部室と練習室も含まれていた。大正13年に建てられたもので、私が在学中、あるいはそれ以前から旧館については「危険性が高く(県の第一級危険建築物に指定されていたらしい)、保存するにも莫大な資金が必要である」ことから取り壊しの計画が立っては白紙に戻されてきていた。ところが一昨年(注:1993年)の10月、旧館裏の部室から出火し、幸い火事の方は小火程度ですんだものの、このことがきっかけとなりあっというまに取り壊しが決まってしまったのである。昨年(一応注:1994年)の夏頃から取り壊しが始まり、今ではもう玄関の所が記念として残されているだけである(注;何だか変な四阿みたいになってしまいましたね)。

取り壊す直前、「部室の私物整理をするから来たい人はどうぞ」という連絡をもらい、旧館に入る最後の機会だと思って行くことにした。かつては人が行き交い、話し声や笑い声が溢れていた空間は、たった半年間でただの巨大な箱に変わってしまっていた。部室の黒板が10月9日のまま時間が止まってしまっているのを見て胸が締め付けられるようだった。私は特に私物を残していたわけではなかったが、自分が写っている写真が思いがけず発見されたり、壁に貼ってあったビラや壁掛けが残っていたりということもあって、それらの物を持ち帰ることにした。ひととおり感傷に浸った後、いざ帰るときになって「旧館という拠り所がなくなる」ということを思って余計悲しくなったのを覚えている。

その旧館で2年間を一緒に過ごした同期の仲間が今年もたくさん集まった。私の同期は他の人達に比べて特に仲が良いらしく、毎年のように旅行には行くし、演奏会のときになると半数以上は必ず集まり、全体の打ち上げが終わった後など決まってどこかへ繰り出すのである。昨年の演奏会後に至っては、旧館の取り壊しが決まっていたこともあってまず旧館の前で(夜9時すぎであるにもかかわらず)記念撮影、そして旧館前で合唱をして、先輩や後輩があきれ顔でそばを通り過ぎていったということもあった。私自身はこういう馬鹿なことでも気にせずできる同期の雰囲気や、仲のよさや団結力の強い所がとても好きであるし、何か機会をつくって会えるのをいつもとても楽しみにしている。

高校を卒業してもう3年にもなるのだが(注:現在はもう5年になりますね)、「変わったね」と言われるような人が少ないのはどういうことなのだろう。毎年(注;今では毎年どころかほとんど隔月で)必ず会っていて、2年振り、3年振りで会う人がほとんどいないのが主な理由だと考えられるが、「旧館」という(今はもうないが)「帰る場所」の存在というのは大きいと思う。

何かの本に「高校時代の友人は一生の友人となる」という言葉が書いてあった。人間が(内面的にも外面的にも)最も成長する高校時代に、私は吹奏楽に出会い、「旧館」という活動場所で多くの友人を得た。高校を卒業してからも、旧館に行けば同期の誰かに必ず会えそうな気がしていた。楽しかったことも辛かったことも旧館は全て「いい想い出」に変えてくれた。旧館はもうないけれど、そこで同じ時を過ごした仲間とは旧館がなくなってもずっとつながりを持っていられる。「旧館の取り壊し」という事件を機に、改めてそんなことを考えた今年の春休みであった。

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